今回は「私のプロフィール」と「副業に対する熱い想い」について語りたいと思います。
龍馬の学生時代
私は大学時代にさまざまなアルバイトを経験してきました。
というのも超貧乏大学生だったからです・・・○| ̄|_
「残高がゼロ円になる恐怖」を何度も経験し、ギリギリのところで乗り越えてきました。
「あと三日間(給料日まで)、キャベツ一個で乗り切るしかない・・・」
「あ、ヤバイ・・・。水が止められた。トイレすら使えない・・・」
こんな経験をしたことあるでしょうか?
もう、なんとも言えない感覚です。
「不安で胸が押し潰されるような」感覚です。
毎日、出口の見えないトンネルのような生活でした・・・。
でもこんな状況を救ってくれたふたりの母がいました。
- (家庭教師)訪問先の母親
- (バーテンダー)雇い主の店長
(家庭教師)訪問先の母親
私がご飯に困っている状況を知ったとき、訪問先の母親は、
「今後、レッスンのある日は30分早く来てください。晩ご飯を用意しておきますから」
と言って、毎回、暖かい手料理を用意しておいてくれました。
いや〜、心の底から嬉しかったですね。
人間の暖かさに触れて、本当に泣きました・・・。
生徒は無事に志望校に合格し、家庭教師としての任務は終わっています。
しかし15年以上経った今でも、年賀状で近況報告を続けています。
私の大切な恩人のひとりです。
(バーテンダー)雇い主の店長
老舗の格式高いBARでした。私はこのBARに憧れて、
「ここで働かせてください!何でもやります!」
と店長に懇願しました。
もちろん断られましたが、
「あなたの人間性がわからないから雇えないわ。バーテンダーは特別な存在なのよ。」
と言われました。
その後「BARとは何か?」「バーテンダーに必要な素質は何なのか?」を学んでから、何度も、何度もチャレンジしました。
そして、やっと、3ヶ月後にOKをもらいました。
その後、店長は私を厳しく指導しつつも、家族同然に扱ってくれました。
仕事が終わってから、何度も食事に連れて行ってもらい、さまざまなアドバイスをもらいました。
・バーテンダーの心得
・接客の仕方
・固定ファンの作り方
・将来のビジョン
まさに、上司・部下の関係を超えた「人間の暖かさ」に触れることができました。
ふたりの母から学んだこと
私はふたりの母から下記の3点を学びました。
- 困っている人がいたら助けてあげる
- 愛情を持って接してあげる
- 困っている人に「解決策」を教えてあげる
まさしくマザー・テレサの教えのようですね。
愛とは、大きな愛情をもって小さなことをすることです。
大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、それを与えることに、どれだけ愛をこめたかです。
上記の2つは、私が大好きなマザー・テレサの名言です。
愛情やアドバイスには「与え方」があるのですね。深いですね〜。
龍馬のサラリーマン時代
東京の某国立大学・大学院を卒業した後、メーカーに就職しました。
もともと機械工学を専攻していたので、そのまま開発者・設計者になりました。
複雑な構造体を設計したり、三次元CAD・CAEでさまざまな解析を行っていました。
「世界初の○○○○○を商品化したい!!」
「まだ世の中に無いものを開発してみたい!!」
かなり熱い若手エンジニアだったと思います。
そんな中、新商品を開発していく過程で、海外のクライアントと「技術的な課題」を打ち合わせる場面がありました。
そしてクライアント目線になればなるほど、商品企画力(商品の価値・機能・ビジネス性の総合力)がないと、会話にならないことに気づきました。
同時に、商品企画力があれば、これは導入する・導入しない、の判断をすぐに行うことが可能になることを知りました。
この時にある想いを抱きます・・・。
「海外で仕事してみたい・・・。商品企画の最前線に行ってみたい・・・。」
そして、その想いが受け入れられ、海外赴任をすることになりました。
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シンガポール赴任
ここで初めて「英語で仕事をする大変さ」を痛感しました。
日本で海外のクライアントと仕事してきた時も「それなり」にこなしてきていたので、「それなり」に自信がありました。
しかし、それは「先方が手加減してくれていただけ」だったのです。
英語圏(シンガポール)で英語を話せない奴なんて、迷惑のカタマリでしかないんですよね・・・○| ̄|_
※この時の経緯は下記に詳しく書いてありますので割愛します。
世界中で仕事ができる楽しさを経験!
数年後「英語の壁」を超えた私は「どんな仕事でもどーんと来い!」と言えるほど、何でもこなせるようになりました。
やはり海外で仕事をする醍醐味は「何でもできるようになる」という点でしょうか。
日本にいるときと比べて、ひとりでカバーする範囲が圧倒的に広いんですよね。
「何事においても物怖じしない精神力と処理能力」を得た私は、世界中を飛び回る生活をすることになります。
そしてある時に気付きました。
もしかして、いま、数年前になりたかった自分に、なれているかも・・・
ある日、突然やってきた「気付き」でした。嬉しかったですね。
「そっか〜、ここまで来たか〜」という感じ。
何度も挫折しそうになり、何度も逃げたくなったのですが、なんとかここまで来れました。
「絶対に逃げない!!」
これは私が海外赴任中にずーーーーっと心の中で叫んでいたフレーズです。
そして今も心の中にしまっています。
歯を食いしばって、挑戦し続けてきて、本当によかったです。
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新型コロナウイルスによるリストラ・給料削減
そんな中、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るいはじめました。
外資系企業ということもあり、あまり実績を出していない社員は容赦なく切られました。
そして勤務時間が大幅に短縮され、給料も大幅にカット・・・。
この状況、何とかしないとマズいですよね・・・?
副業で収入源を増やそう!
これまで記載してきた通り、私はサラリーマンとして、全力で仕事をしてきました。
それでも、給料は大幅カットされてしまいましたし、もしかしたらリストラされるかもしれません。
ここでお伝えしたいメッセージはひとつ。
もう会社に依存するのはやめましょう!
正直、どんなに会社で実績があったとしても、リストラされるときは一瞬です。
「備あれば、憂いなし・・・」
いますぐ、副業をはじめましょう!
「脱・会社依存」です!!
みなさんも一緒にはじめませんか?
▼下記は私がこれまで経験してきた「具体的な副業のやり方」です。